dmachiの日記

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『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ』感想

 2018年加藤典洋著。人を動かす思想は二段構えだという。一階が、普遍的な地べたのもの。二階が論理的なもの。

 幕末の尊王攘夷から尊王開国に変わっていった薩摩や長州を例に上げる。また、敗戦後の日本の護憲と、もう戦争は嫌だという思想を例に上げる。正義の戦争より、不正義な平和がいいという思想だったと。

 薩摩や長州はイギリスと戦って敗けた傷を負った。方や水戸は尊王攘夷思想を厳密に掲げながら、外国と直に戦って敗けるより、幕府内の調整へと向かい中途な尊王思想になった。その違いがあるという。そして尊王開国として薩長土肥明治政府が成ったと。

 戦前の皇国思想には一回部分が無くうまくいかなかったといい、敗戦後の、戦争は嫌だという気持ちも、現代には薄まったという。だから、その一階部分をまた改めて見直して、それの後にというかそれと共に二階部分の思考もなされるべきだという主張。筆者は、護憲と厭戦の気持ちの二段の思想がもう現実に有効だった時は過ぎたと言い、日米間の関係性を問うべきだと言う。そして護憲が対米独立に適う唯一の解になるという。もちろん戦争を起こさせないことを一階部分に相当させて。その場合、国連との協調が実際的な孤立しないための手段になる。

 著者の主張には納得させられるが、現実にその主張を全うするには勇気も胆力も必要になると著者は言う、その現実が果たして可能なのかという疑問は湧いた。そして現実には、対米従属に対する悔恨の念が、皇国観を再び蘇らせているというのが現状の著者の解釈だ。僕は少なくとも一階部分に相当する何かを改めて見直すことが政治でなくとも個人個人でも必要度は増していると思うし、著者の二階建ての思想の考え方は面白く思った。二階部分だけを厳密に作り守っても不十分で、一階部分だけでも不十分で、両者の拮抗があって十分となる、というもの。著者の語りには、立場の相違を越えて、人に届けようという意志や知性が感じられた。