dmachiの日記

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読書メモ

『「派閥」の研究』山本七平1989年。
田中角栄や星亨のやり方や日本の伝統や明治日本の近代化の経緯を参考に派閥を探る。以下印象に残った言葉を文脈を無視してメモ。

・日本は法治国家ではなく納得治国家
・派閥の支配の仕方として、徹底的に恩を施す。この施恩を決して権利として主張せず記録も残さない。しかし相手は「施恩の権利」を主張されなければされないほど「受恩の義務」を感ずる。
・派閥の領袖に要請される能力は「所領安堵」の能力である。
・対立する族や村を派閥という組織に統合し矛盾を強制的に調整する。そのように統合する機関としての派閥。
・「角栄裁判」で見られる特徴は長い伝統を持った「正論の政治」の喪失。
・日本の社会には中国や韓国の外婚制のような原則が無く、アラブの内婚制でもなく、つまり強固な血縁集団を構成しないということ。
・「胃袋は単純にして無邪気な要求をする」幸田露伴渋沢栄一伝』。
・「事実の世界」と区別して「法と権利の世界」を構成する技術は「西洋」に始まる制度であり、その別個のものはそれぞれ同一の社会的基盤を持ち、千年単位の伝統を持つ。
・19世紀始めには西欧の多くの国で国教があった。その聖書やキリスト教の伝統から憲法が発生する。日本には国教という概念が無かった。
天皇が洋服を着たことのショックで明治二年橋本実麗が参内拝謁したとき「洋服着御、御椅子、愕然歎息至極也」としている。
・「現実政治」の世界は、明治以来「派閥連合=政党」なのであり、もう一つが、露伴筑波山党を評した言葉「胃袋は単純で無邪気な要求をする」のである。
・外来の強烈な普遍主義的思想を受け入れると、一見そのまま受け入れたように見えながら、実は、その国もしくは民族の文化的蓄積の中から、その普遍主義的思想と似たものを掘り起こして共鳴する、その共鳴を外来思想として受けとるという、矢野暢教授の「掘り起し共鳴説」。
明治維新とはある立場からは藩主を無力化する革命とも言えて、「藩閥」に対抗した自由民権運動の内情は「地方閥」で、それが「金権閥」になる。「胃袋は単純にして無邪気な要求をする」という原則が、状況に応じて変化する。星亨を源流としてからの原敬から田中角栄までの流れ。
・選挙区から代議士を送れば、その地方の利益が得られるという、「授益者閥」としての「星閥」。つまり、政府に影響力を行使し得る「実力者」なるものの下に形成される「派閥」。村落名望家が代議士となり地方的にかたまり領袖をいただくという「地方閥」ではなく。
足利時代南北朝に分裂、北朝内で尊氏と直義が分裂し、所領安堵すなわち所有権の保証をしてくれるものがない。そこで集団安全保障をしようとする。これが国人一揆。簡単にいえばこれが「派閥」である。原則は所領安堵という「共同利益保持縁」であり、リーダーの選定は集団の安堵能力主義で、血縁に基づく相続はできない。
・派閥に問題があったとしても、派閥解消は問題解決にならない。軍部が登場し政党を解消して大政翼賛会をつくっても何の解決も招来しなかった。老子の「其の鋭を挫き、その紛を解く」ことが基本。
・中央と地方と企業の三角関係という背景に、藩閥に対抗して出てきた派閥。それは政治的利害に基づく結合であり、派閥にメリットがなければ新たな政治集団も生まれ得る。
・産業構造の変化、地方格差、あるいは、アメリカからの日本国内市場開放の要求などによる農業の問題など、国庫からの金を選挙区に引き出す方法だけでは解決しない問題の出現。
・民営化や、小選挙区を軸にした選挙制度の改正、そういう制度の改正案を民が出すことが問題解決になる。

著者の文章は読みにくかった。一番の理由はこちらに知識や理解力が欠けているからだが、何についての話をするか、どういう話をしたかのまとめが少ないという印象を持った。しかしそれにしても、著者の話は、常に事実に基づいていて、離れない。そして、日本と世界の歴史や思想に通じていて、容易く、それらと日本の社会の事実を結び付け語る。この本が出たのが1985年。派閥政治の限界を指摘した後の展開をどう評価できるのか。共同利益保持縁はいつも生じる。中央と地方と企業の三角関係はどう変化したのか。「法と権利の世界」と日本の実情の世界との関係は変わらないままか。など疑問が出る。なにしろ著者の、人が当たり前とするところをもするっと確かめる視線と、確かめた事実を概念と整合させつつ論理的に語る様は凄かった。あと、明治維新以降、着物から洋服に変わっていったのを当時の人はどう思ったのかと疑問だったが、その一端の嘆きの言葉を知れて、やはりそういう人もいたのかと思った。また、中央集権化すれば、人と場所のつながりが薄まり、お金を通じて人と人がつながりやすくなるのだろうかと思った。つまり集権されればその権益は人から人に渡されるのではなく、お金で地方に配分される。つまり相対的には人の価値が低下しお金の価値が高まる。