dmachiの日記

読書メモなどです。

読書メモ

 ①『父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』2019年。橋本治著。既に終わっていた家父長制が人々の幻影としてあったがそれも終わったという話。それは家という制度の崩壊でもあり、上下関係を成り立たせていた現実の崩壊でもある。そこで問題は上下関係のピラミッド型の組織しか日本人は組織の作りを知らないこと。だから、自分でなんとかなっていくしかないという。またそれは人の歴史上、論理とは男の論理であったものが、現代に初めて女の論理なるものによってひびが入ったことと共にある。著者は女の方で論理のひびを回収する作業も必要だという。また、組織はそれを作った人の私物ではないという原則を守らねば、組織は死滅するという時代だという。

 「男はえらい、だから他に説明する必要は無い」という慣習はばかげていて古い慣習は古いというところだが、モラルは必要だ。モラルという社会的な規制は、人を縛ると同時に人を逸脱から守るというものだったが、昔はそのモラルがみなにかかったが今は個人個人がモラルと逸脱の間で自分はどうあるべきかを考えねばならなくなった。人が他人と共同の世の中に生きる以上モラルには存在理由がある。そのことと関連して、男を主として女を従とする結婚という制度にひびが入ったこともある。つまり結婚という契機により機能する家という先祖から始まる一つの系統だった流れを包括する概念としての抽象観念が失われた。ただの物としての家になった。それは家が経済基盤とならなくなってきた現実と並行する。経済基盤としての労働の場という家の土壌が無くなり、労働にまつわる親方弟子の徒弟もなくなり、上の言うことを聞く基盤も、上に立つ経験という基盤も失われた。自営農が一家総出の労働をした歴史があり、室町時代には都市での労働の場が家に近づいた。その歴史の上で、現代では、会社や企業という赤の他人同士の集合体が事業主体になった。そして結婚は、会社に勤める主である男と主である女の合意のものとなった。そこで家事は企業努力でやるか、結局お互い均等にやるといいつつ男が主女は従に戻るかの二通り。

 そして著者がまとめるのは、一人の支配者が全体を統率する力はもう宿らないのであって、複数で代表するという考え方をできるように人は成熟していかなきゃいけないという。国や企業や家やいろんな集団において、王様や家長的なるものはもう機能しないから複数の代表という考え方ということ。

 

②『身体の文学史』1997年養老孟司著。

 とにかく著者の、歴史をある史観でみようとしない態度が凄かった。というか、一筋の物語にしようとしない。ただ物を語るという印象。人は年月を重ねて進歩してきたよなあというような素朴な感慨に値するたったそれくらいの進歩観も垣間見せない。身体というものから著者は見る。けどまあ人は物を語るのであって、物語は生まれる。あるいは物語的に人は生きると言ってもいいのかもしれないくらいだろうけど。そのこと自体をどう考えるのだろうと思った。