dmachiの日記

読書メモなどです。

『多神教と一神教』感想

 2005年本村凌二著。副題が、古代地中海世界の宗教ドラマ。

 メソポタミア、エジプトの多神教の世界があった。そこから、段々と時を経て、一神教が生まれた。その背後には「危機と抑圧」があった。また、アルファベットの開発もあった。詳しい宗教ドラマは、本書に書かれているが、俺にはよく理解して飲み込むことができなかった。神々の名前も、拝まれた時期もよく覚えていない。けども、エジプトでアクテンアテンという王様が一神教を起こした事実があり、また多神教に戻ったりしたと。

 一神教と言えば、ユダヤ教からキリスト教イスラム教となるが、キリスト教は最初は弾圧された。広まった要因は、門戸をオープンにしたこと。男も女も。また、秘密の儀式をやったりしなかった。

 古代の人は、神々の声を聴いた。ソクラテスは、神の声に畏怖を示すが、大昔の人より神の声を聴いていなかった。そして、魂を論じ、文字を嫌った。文字を使うと、己の内発的な力を損なうことになると。おそらく古代から、人々の心性自体が変わっていった。変わらざるを得ない歴史の過程があった。その辺りに、著者は迫る。迫るために多神教から一神教への過程を描く。

 一体、古代の人の心性はどんなものだったのかと思う。そして、それは、現代人にも何かを残しているのかとも思う。物語として古代の神話は残る。古代の人は、おそらく神々の物語が文字ではなく、彼ら人間と共にあった。現代でも人は物語と共にある。その物語がどんなものかが問われる。個人が自分の物語を生きるのが人生だといってしまえばそうだが、世の中にある物語もある。そして語られていないものを物語ることもある。けど物語というのがわかるようでよくわからない。だけど、人は物語と共にあるというもので、つまりかなりフィクション的なものとして人は存在している気がする。