dmachiの日記

読書メモなどです。

読書メモ

①『死なないでいる理由』鷲田清一。2008年。全体的な語りの論調はまとめきれないが、人の生き死にがテーマでもあり、成熟や幸福や家族の話もある。この本で「生きていることは生きていないということより価値がある、在ることは無いことより価値があるといいうる究極の根拠を、希望としてではなく示せるだろうか。この問いに、『ひと』はおそらく答えをあたえることはできないだろう。現に、あらゆる生きものは他の生きものを殺さずには生きていけない以上、殺すことを否定することは、生、すなわちみずからの存在を否定することにつながるのだから」、とある。哲学者が提出した生の価値についての考えとしてとても参考になった。

②『人生に生きる価値はない』中島義道。2011.

 評論エッセイ集。面白かった。カントやニーチェの哲学の話は学者の説得力があり、また著者の考えや実際の言動についての文章が面白い。著者は世間や人に媚びない。自分の考えや信念に重きを置く。その置き方が、多数の日本人とは異なる。僕は全盛期の松本人志を思い出した。その何にも媚びずに主張を曲げず世に怒り相手の気持ちを理解せず怒りを正しく上から表明する様子に。そしてそこからあぶり出されるものへの応答としての言葉を考えさせてもらった。もちろん著者と松本はその知性や教養や信念において、活動領域において、全く異なる。日本社会においてのその怒りの表明の仕方が似てると思ったに過ぎない。時代という要素もある。

 そしてまた、著者は哲学的問いとして、時間はあるのかなど論考しているが、無論哲学の概念を駆使したプロの文章なのだが、素人からしたら、そりゃ時間なんて無いだろうと思った。自然や生き物が動いていろいろ変わっていくということが、この世界のありさまでそれ以上も以下もないと。時間は人が必要とする。そして時間という観念が必要とされる社会生活では、人は人と交わる中で、約束が守られるかなど、ある種の期待をするから、過去や未来という、著者の言うように無いものからでも、影響を受ける。だから、ある時代の社会の秩序で生きる以上、過去や未来がたとえ無くても、その観念から影響を受けるのは当然でつまりその影響自体はある。素人の感想に過ぎないが、どうも私からしたらそういう理解をしている事柄を、哲学者は概念を用いて、西洋の伝統を踏まえた上で、精緻に論理を構築していく。だから、話がややこしくなるのではないかと思った。無論ややこしい論理の中で新しい概念や哲学が生まれるのだろうから、敬意しかない。