dmachiの日記

読書メモなどです。

読書メモ

『じぶん・この不思議な存在』鷲田清一2007年。

 以下メモ。

・人生とは、ある意味では、こうした「じぶんに語って聞かせる説話」が自他のあいだでたがいに無効化しあう不協和のなかにあって何度も何度も破綻する過程であり、またそれをたえず別のしかたで物語りなおすべく試みる過程であるといってもよい。

・けれどもここで未熟という場合の「未」は「まだない」ではない。ここではひとは、成熟するより速く「青二才」にならなければならないのだ。

・物語はそれが物語であることを忘れることによって、はじめてじゅうぶんに機能するということだ。そのためには、同じこの物語を共有してくれるひとがいなくてはならない。

・わたしの体験の意味は、どれ一つとっても、それをじぶんがどのように受けとっているかには還元ということをできないものであるのに、つまりいつも自/他の関係の場で規定されるもの

・「ひとには、じぶんがだれかから見られているということを意識することによってはじめて、じぶんの行動をなしうるというところがある」他者のうちになんらかの意味のある場所をもっている。このとき、「わたしとはだれか?」という問いはほとんど背景に退いている。

 

 著者は、人が時に自分というものへ問いを向けること、自他の場が成り立つということあるいはそこにあるもの、人が何かを経験、体験するということは何かということ、そのようなことについて語る。著者の話は、平易な言葉でありながら、極めて思考しにくいことや言葉にしにくいことについて語っているように感じる。それに気付くこと自体が困難な領域についてのこととか。私はこの本でなんとなく、人の持つ、あるいは人について語るとき二重的になるようなこと、あるいは人間とは何かではなく人間が何を体験しているのかという問い、そんなことを与えられ考えさせてもらった。人と物語についての理解が深まった。

 自分は全くもって浅学不勉強ながら思うのは、思想や哲学には、この社会なり世界なり、人間なり存在なりについての問いや、あるいは歴史や政治経済や宗教や科学、現実を覆うシステムやイデオロギーへの問いを語るものがあるが、人が何を経験しているのかということへのまなざしもあると改めて確かめさせてもらった。

 また本書の中に出てきた坂部恵という人の本に興味を持った。かたりにまつわること。