dmachiの日記

読書メモなどです。

『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』感想

 2002年橋本治著。三島由紀夫をめぐる論が初めから終わりまで続く。理路は明快とはいえ、その全体をきちんと読んで理解することからして僕には難しく、ただところどころにある著者の論旨をまとめる言い回しが印象に残った。例えば、「『仮面の告白』の「私」が禁じた欲望とはなんだったのか?それはつまり、他社を求める「恋の欲望」である」、「かくして、「人を人として求める」という欲望は深く禁圧される~その後には「達成への道」がある。その道を辿って、その人物はただ宙ぶらりんになる」、そういうところで、真実必要なものを求めて求め方を知らなかった、ということになると悲劇になる。著者は三島由紀夫の悲劇性をそうなはずと指摘するが、しかし、真実必要なものを求めることは、してはならないことであるという選択が、なされた。その選択を「正しい」とするのが、三島由紀夫の生きた時代だったという。それがなぜそうなるのかは、よくわからなかった。真実必要なものを求めることよりも、重視されたものがあったということだろうか。ただ求めてもそれに応じられることが無かったということだろうか。自分がいて他人がいる。そこに人を求める感情や欲望もあり得るし、人を人として求めるということもあり得る。そういう普通のことが普通になされるということ。それが困難になるということもあること。自分だけがいて他人がいないこと。普通のことが普通ではない方法でなされること。そういうことを漠然と思った。